好きなことが分からなくなって、
「とりあえず」やらなきゃいけないし・・・
「とりあえず」これならマシかな・・・
「とりあえず」今は・・・
「とりあえず」
「とりあえず」
そして気づくと、その
「とりあえず」が生活の中心になって
「とりあえず」の渦に飲まれて
時間だけが過ぎ・・・自分の好きな事、やりたいこと、
本来向き合うべきことは二の次になる所か、
いつの間にか考える余裕もなくなって、
・・・年齢だけは重ねている。
(゜ロ゜屮)屮 「えぇ-!!もうそんな年齢?!
誰が??私??えぇー!桁多くない??」(誤魔化せてませんよ。むしろ何歳?)
変えたい、変えたいって思いながら、
結局、新しいところに行く気力もなくて留まったり、
積もりに積もった不満で、逃げるように場所を変えたり、
何となくやりたいことが見えても、
「とりあえず」やってみるけど、みんな中途半端。
そのパターンの繰り返し。(――;)
今は、思いの外、
やらなきゃいけないこと、覚えなきゃいけないことを考えても、
時間だけは、たくさんある。
良くも悪くも・・・
「時間だけは」( ̄∇ ̄)ハハッ
(=^..^=)ミャー「我が輩は猫になる」(なれません)
去年の今頃に比べたら、
その分、ストレスもなく、体調も良い。
(そして今日はちょっとふざけすぎ・笑
昨日までは真面目歴=年齢。・・・(`・ω・´)何か?)
でも、気づいた。
当たり前の事かもしれないけど。
「夢」があろうとなかろうと、
「やりたいこと」があろうとなかろうと、
その先で得たいものって・・・
結局は、みんな
「幸せな気持ち」
だよね(*^▽^*)
達成感、満足感、自己肯定感、優しい気持ちやあったかい気持ち、喜びや嬉しさや、大好きで満たされる気持ち・・・。
安心して、ホッとして、元気で、笑顔で・・等々。言葉を並べてるだけでも幸せになれるような、そんな気持ち。
だから、「他人の夢」を「自分の夢」だと勘違いしてる人は、
多分、途中で苦しくなる。
「親の期待や望み」を叶えることが、「自分の夢」だって勘違いしてると、
多分、達成して「認めてもらえる」ことで、一時は満たされる。
ゴールした一瞬は。
けれど、例えばそれが職業の場合、
結局その先も続けていくのは自分だから、本当に好きじゃなきゃ、続けるのはきっと苦しい。
私は、自分の一番やりたいことを、
習い事も、進学も、仕事も・・ことごとく否定されてきたから、
妥協癖や諦め癖があるのかも知れない。
そしてそれは、大人になったら仕方ないんだ・・・って、何となく思ってきた。
「今を生きること」の大切さを意識していて思ったのは、
自分の好きなことや、やりたいことが分からなくなった人は
「いつか」に「大きな目標」を抱いたりしがちで、
実際に、自分が普段どんな時に幸せを感じて、どういうものが好きなのか、
「とりあえず」の日常に飲まれて、それらを見過ごしてきているから、
「幸せデータ」が足りないんじゃないかな?
私が、願い事を書くようになって、
「それを達成したときの気持ちになって」・・・って言葉に
・・・???( ̄∇ ̄)ハイ??何ですって?
ってなったように。
達成した時の気持ちを想像することすら難しい。
そもそも、多分そこまで考えない。
考えても、お正月や誕生日に思い描く位とかだったかな・・笑
それじゃあ、「いつか」の「大きな目標」を達成する日は、
多分、永遠に来ない。
意識すれば、自分が幸せを感じられることは、日常にも本当にたくさんある。
結局は、生きてていかに幸せな瞬間を多く見つけて、
いかに幸せな気持ちを知ることが出来るかが、
みんなの願いの行き着く先にあるものなんだと思う。(*^_^*)